第2次世界大戦と聞いても、 もう歴史上の出来事としてしかとらえらえない世代が多くなっていることと思います。この私ですら、 パプアニューギニアに来ることがなければ、戦争のことなど全く考えなかったでしょう。ここパプアニューギニアにおいて、 日本軍とアメリカ・オーストラリア連合軍が激戦を交わしたことを知る人は一体どのくらいいるものでしょうか? 教科書では教えてくれない本物の歴史がここにあります。
先日それを考えさせられるべくして、 私は群馬県遺族の会の方たちと慰霊巡拝の旅をご一緒させていただくことになりました。ウェワック、ラバウル、 レイなどを回りましたが、爆撃によって壊された日本軍の飛行機の残骸や輸送船の残骸が今でも各所に残っています。 なんとパプアニューギニアで無くなった戦死者の数は17万から22万とも言われています。 マラリアや食糧不足による病死や餓死が多かったと言われます。自分の肉親がここに来て、 苦しみながら死んでいったことを考えると、戦争の悲惨さを感じずには得られません。これは、日本だけではなく、 敵国として戦ったオーストラリア、アメリカ、 戦場になってしまったパプアニューギニアにとっても忘れらない痛みとなっているはずですが、今戦後60年たって、 この痛みを直接受けた人々が年々少なくなってきています。この戦争の悲惨な歴史は教科書に出てきません。 これをこれからの世代にどのように伝えて、今後戦争を回避していけばよいのでしょうか?
今パプアでは、見るも美しいコバルトブルーの海、緑豊かな熱帯雨林が広がっていますが、 そこに眠る悲惨な記憶は今、忘れられようとしています・・・・。
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